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“育てる機能”を失う社会

昨日紹介した丸山茂雄氏のインタビュー記事には、興味深い内容がたくさんあるのですが、その一部を少し展開します。

話の中で、インタビュワーがこんな質問をします。

■なぜ、育てるという機能が失われてしまったのでしょうか。

メジャーレーベルが、契約時には実力の乏しいミュージシャンを何とか鍛えて辛抱強くヒットメーカーに育てあげる。ということが今はなくなってしまったというわけですね。それはなぜなのか?丸山氏はこう答えます。

丸山 本当はできたんだよな。できていたのにできなくなったのは、最近の上場ブームと、企業は株主のものという社会的風潮が関係しているかもしれない。企業というのは利益を出すためのもので、株主に配当をきちんと行うことが目的であるという考え方ね。

これは、レコード業界に限らず、どこでも似たような風潮があるといえるでしょう。つまり、早くいうと、「はっきりと目に見える結果を短いタームで継続的に出さなくてはならない」ということです。

ぼくがかつて所属していた科学研究の現場でも近年似たような変化があって(独立行政法人化など)、たとえ基礎研究といえども、きちんとした結果を継続的に出すことが求められるようになりました。結果とは、理系の場合は論文の本数などです。

もちろん、何の役にも立たない研究を趣味的にやってる人たちというのはたくさんいるし、そんなのが許されるの?という現状がちらほらあったのは事実。
ぼくが聞いた数学科の話ですが、一度助手のポストについたあと、一本の論文も出さず、大学にもほとんどおらず(出勤の印だけ押して帰るそうです)、定年まで遊び暮らす人も実際にいたらしい・・・。そういうのは確かにまずい。

でも、いちいち上半期ごとに評価を出して、それに応じて研究費の大幅削減などをやっていたら、ほんとに目先の結果が見える研究しか残らないだろうな、と。
そんな「ちょっと先が簡単に見える研究」が面白いんだろうか?とも思いますよね。そんなことで、新しい分野は育つんだろうか?

あるいは、「銀行が金を貸さなくなった」という話でも同じで、今のベンチャー企業は、四半期ごとの決算で一回でも赤字を出すようなら融資を打ち切られるとか、あるいは起業後3年確実に黒字の事業計画書(ありえんだろ!)を要求されるとか…とにかく中小企業の事業を“育てる”、という「かつての銀行家の気概」みたいなものは今の銀行にはないそうです。

それだけ社会に余裕がなくなったということかもしれませんが、過度な市場原理、短いタームでの結果至上主義というのが、こうもあちこちで蔓延しているのを見ると、いったいどうしてしまったんだろう?と不思議な気もしてきます。この疑問は、しばらく追及していこうと思っています。










 

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